【韓国の報道機関ごとの社説】韓国史教科書の採択の議論

教学社、ニューライトの教科書についての社説です。韓国の教科書問題ですね。
韓国の教育界は左派が多く、従北論難が耐えません。教科書も教育も、従北的で共産主義的だという批判が相当ある。日本の教育界・日教組と似たような問題を抱えてるんですよ。
ニューライトのことや韓国の教科書問題が日本で紹介されるとき、「ニューライトは植民地近代化論を唱える親日的な団体だ」というふうに紹介されることが多いんじゃないかなと思いますが、けしてそういう単純な話ではないです。
韓国の保守は、そもそもパクチョンヒをはじめとする独立後の韓国の歴代の保守系の政治家を肯定したいんです。軍事独裁政権の「良かった点」も含めて。
なぜなら、韓国の歴代の保守系の政治家は「親日派」論難が耐えないので。
韓国という国の成り立ちを考えればそれが当然で、「韓国」という国ができたときに国を運営する能力があった人材は、ほとんどが大日本帝国の教育を受けて普通に出世した「親日派」だったからです。
パクチョンヒをはじめとする独立後の政治家が親日派と批判されることに、韓国の保守層は釈然としない思いを抱いてるんですよ。
でも韓国の空気的に、「親日」のレッテルへの反論はものすごーく難しいです。
で、パクチョンヒをはじめとする「親日派」の生い立ちを認めようとすると、併合時代の大日本帝国下で日本の教育を受けたことや日本の軍人になったことを、ある程度認めざるをえないんです。
てか、植民地近代化論そのものは、まっすぐに歴史を見たときの帰結です。もちろん歴史をまっすぐ見ようとする韓国人はいるでしょう。とくに、統治時代を体験してるお年寄り世代にはいたでしょう。日韓議員連盟が機能していた時代には、暗黙の了解もあったんだろうと思います。
ただ、時代は変わり、暗黙の了解は消えうせ、強い反日洗脳を受けた戦後世代が社会のリーダーになって、「現状」があるわけです。
これ、私は予見していなければいけなかったと思います。日本の予測は甘いものでした。おそらくかつては「世代が変わり、韓国が豊かになれば、自然と反日感情も消える」と予想してたんだと思います。でもこの予想は当たりませんでした。反日はむしろ戦後世代のほうがキツイ。強化された韓国の反日教育が、併合期を体験してない戦後世代をモンスターにしました。
さらにいうと、今の韓国の若い世代が受けている教育やメディアの状態から、今後の韓国がどうなっていくかを占うことができると思います。はっきりいって、反日が止むとはまったく思えないですね。「世代が変われば反日は薄れていく」という幻想は、いい加減捨てましょう。別に日韓友好を目指したい人が目指すのは自由なんですが、「世代が変わっても反日は薄れない」という前提をきちんと把握したうえで、「ではどうするべきか」という「策」を練ってほしいです。

で、教学社の教科書は検定には通りました。
あらゆる手段で袋叩きにされるなか、何度も何度も修正を重ねて、そして検定に通過しました。
私は教学社の教科書の決定稿を読んでないので断言はできませんが、もはや植民地近代化論など影もカタチもなくなっていると思います。まず不可能です。
で、何校かが採択を決めました。
でも、最終的にはすべての学校が採択を撤回し、採択率はゼロになりました。

この件については、新聞によってかなり論調が違います。
以下の七つの新聞の社説の紹介です。


京郷新聞
国民日報
聯合ニュース
朝鮮日報
中央日報
韓国経済新聞
韓国日報

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京郷新聞
【社説】韓国史教科書に「外圧」をかけたのは、政府・与党である
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=796386&oid=032&aid=0002428332&ptype=011

教育部が、教学社の韓国史教科書を教材として選定したのちに他の教科書に変更した高校20カ所を対象に、特別調査に乗り出した。
「教科書の再選定の過程で、外圧があったかどうかを把握するためのもの」というのが教育部の関係者の説明だ。
こんなことで特別な調査をするということじたい不適切に見えるが、発表と同時に教育部の職員40人をそれぞれの学校に2人ずつ、急いで送ったのを見ると、教育部がどれだけ気がはやっていたのか見当がつく。

教学社教科書は、政府と与党の限りない庇護があったにもかかわらず、採択率0%台を記録した。
当初は20校から選ばれていたが、それらの学校の保護者や卒業生・市民団体の反対世論を勘案して、教学者教科書ではなく、他の教科書を選定したのである。
教育部は、この翻意過程を外圧だと決め付けようとする形だが、これは理に合わないごり押しに過ぎない。

教科書は各高校の担当教師の意見を聞いて、校長や学校運営委員会で選定することになっている。
外圧というのは、この手順を無視し、校長または理事長が、担当教師に特定の教科書を採択するよう圧力をかけた学校があった場合に該当する。
こういった外圧の事例がマスコミの報道で明らかになったときには何もせずじっとしているのに、世論によって教科書の選定作業をやりなおすようにしたのを外圧だと言うのは、かなりの偏向である。
世論と外圧の意味の違いも知らないのだろうか。

教学社の本は、歴史歪曲や間違いなどで、修正に修正を重ねたボロで不良の教科書だ。
子供たちに正しい歴史を教えたい良心的教師であれば、8種の教科書の中で、わざわざ品質が最も低下する本を選定する理由はない。
一部の保守派の教師が、教科書の波紋を保守・革新の葛藤と見て、教学社の本を選んだとしても、内容を正しく検討したら、考えを改めるのが正常である。
いわば教科書の再選定は、「異常だったから、正常にした」ということだ。

教育部が、個々の学校レベルで判断して決定してそれで終わりという事案について、特別に調査するという無理なことをする背景には、おそらく執権勢力の手詰まりが作用したものである。
パククネ大統領が新年の記者会見で、教学社教科書の問題を「理念論争」と批判して、セヌリ党のキム・ムソンとキム・ヒジョン議員などが「全教組のテロだ」「全教組のごり押しだ」という暴言まで言いながら、教育部を圧迫したからだろう。
水準の低い教科書を庇い、意のままにならないと全教組に矢を向けるのは唐突に見えるし、与党に脅されて、慌ててスタッフたちに「自分の仕事を止めて、調査に行け」と支持する教育部も気の毒だ。
これこそ外圧ではないか。

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国民日報
【社説】検定教科書なのに、採択率が0%となる教育環境
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=852631&oid=005&aid=0000615677&ptype=011

教学社の韓国史教科書を採択した坡州のハンミン高等学校が7日、教科書の選定を全面的に見直すと発表した。
ハンミン高が採択を撤回すると、教学社の教科書を採択した学校は、慶尚北道青松女子高を除けば、全くない状態だ。
多様性が尊重される民主主義社会で、特定の教科書の採択率が実質的に0%というのは、決して正常ではない。

教学社の教科書を採択した学校は20以上あったが、現在は二つの学校を除いて、他はすべて教科書を変更したり撤回した状態だ。
生徒、保護者、卒業生の反発に加えて、いくつかの進歩的市民団体までがデモに出たので、決定を翻した学校が続出したからである。
この過程で、不当な外圧があったとみて特別調査に乗り出した政府の措置は、性急だったという感じを消すことができない。
ハンミンの事例がその証拠だ。

ハンミンは軍人の子供のための寄宿型の学校で、3月に正式開校する学校だ。
新入生の選抜を終えて、教師任用手続きを進行中のため、学校内で全教組の活動があるはずがない。
学校のチョン・ヨンホ校長は「(教学社の)教科書の論議が起き、間違いがあるという問題が提起されているので、再検討することにした」と述べた。
採用したかったが、議論になっているので覆すことにしたという意味だ。

現行の検定教科書の規定は、校長が学校運営委員会の審議を経て、教科書を選定し、使用するようにしている。
論議がふくらむ教学社の教科書を採択した学校は、1%を下回った。
教科書自体に問題があると言わざるを得ない。
歴史歪曲論難はともかくしても、8種の韓国史教科書の中で、政府から最も多くの是正命令を受けたという事実が生徒や保護者の不信感を招いたという点を見過ごしてはいけない。
教学社の執筆陣は、教科書の完成度を高めて当然だ。

しかし、検定を経た教科書の採択率が全国的に0%であれば、これは大きな問題だ。
進歩陣営で組織的に外圧を加えれば、採用した学校でも覆さざるを得ない状況である。
100%と0%、これは民主主義社会ではありえないことである。
教育環境がこんなふうに一方的に作られれば、真の民主市民教育は不可能になるだろう。

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聯合ニュース
【連合時論】歴史教育が正常に行われることができるか
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=48725696&oid=001&aid=0006688046&ptype=011

韓国史教科書の採択をめぐる混乱が続いている。
右偏向・親日論議をかもした教学社の韓国史教科書を採択した15個前後の高校のうち、最後に残った全州のサンサン高が7日、最終的に教学社の教科書の採択を撤回した。
これによって、来る3月に開校した兵士の子供のための京畿道坡州の寄宿型学校のハンミン高校の一箇所だけが教学社の教科書を使用して、全国の2千300余りの高校は、どこも教学社の教科書を参照することができなくなった。
サンサン高は、そもそも「バランスの取れた歴史教育」のため、志学社と教学社の教科書を複数採用したが、最終的には志学社の教科書のみを使用することになった。
学校側は本来の趣旨とは異なり、「生徒、教師、保護者に不信と分裂をもたらしており、学生が非常に深刻な被害を被る状況が発生して」これらの決定を下したと説明した。

教学社の教科書を採択した学校は、一部の保護者と在校生、卒業生、学界、全国教職員労働組合(全教組)、野党の抗議の攻撃を受けた。
デモが続いた学校の掲示板には非難文が殺到した。
サンサン高の場合、一部の学生たちが教学社の教科書に反対する壁新聞をつくり、卒業生が学校の正門から教学社の教科書撤回を要求する声明を発表した。
卒業生は抗議デモを行ったし、学校側が教学社の教科書の採択を撤回するまで1人デモを続けたりもした。
卒業生でもある全州市の議員が、テントを張ってハンストをしたりした。
全北教育・社会・市民団体が連携した「全北教育革新ネットワーク」の会員たちも、学校の前で撤回を促す会見をして、学校を訪ね、抗議文を渡した。
学校側は心理的な圧迫を受けないときがなかった。
教育部は、韓国史教科書選定の決定を変更した20校に、外圧があったかどうかを調べるための特別調査に入った。
与党は、いくつかの高校が教学社の教科書を採択したあとに撤回したのは、全教組などが高校の自律的選択を妨害したからだと主張している。
一方の野党は、教育部の特別調査は前例がなかったことであるとして、それ自体が外圧だと反発し、調査を中止するよう求めた。
進歩性向の教育官が率いる京畿道教育庁も、「教育部の介入が不当な外圧として作用して、学校の自律的教科書採択過程が歪曲されることが懸念される」として、教育部の特別調査の中断を要求した。

教学社の教科書に問題が多いのは事実だ。
あえて議論されている教科書を選択する理由はない。
今回の教科書事態のはじまりは、事実の間違いや偏向の問題を、厳密に取り除くことができなかった国史編纂委員会の検定システムが出発である。
全国の高等学校のうちの15校程度しか選択しなかったのを見ても、教学社の教科書が不良であることが確認できる。
しかし、これを採用するかしないかは、学校が自律的に決める問題だ。
各学校の歴史教科の教師で構成され、教科協議会が教科書を評価して、推薦した候補3種を保護代表まで参加した学校運営会で審議してから、校長が最終的に決定することになっている。
しかし、現在のような雰囲気であれば、どこの学校でも自由に教科書を採択することができないだろう。
それでも教育部が特別調査に乗り出したのは、学校の自律性に影響を与える過剰な行動に見える。
昨年8月に始まった教科書事態は、進行中だ。
日本軍慰安婦と強制動員の被害者、東学農民運動家の子孫、独立運動家の子孫ら9人が、教学社の教科書の配布禁止仮処分申請を提起して、7日に初の裁判が開かれた。
教科書が理念の戦いの対象になると、最も被害を受けるのは最終的には学生である。
効果的な教育のためには、教科書への信頼が絶対に必要である。
数ヶ月も続く険しい「歴史戦争」を見ながら、歴史教育が適切になされるのかが疑問である。
しかも韓国史教科は、受験必須科目に定められた。
韓国史教科書をめぐる現在の事態は、教育問題を中立的に説明できず、理念的にアクセスするとどんな望ましくない状況が起こるのかを如実に示している。
 
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朝鮮日報
【社説】「教学社が集団で踏みつぶされている」のが、まさに歴史教育現場の実状である
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=24814489&oid=023&aid=0002657520&ptype=011

全州のサンサン高校が7日、教学社発行の歴史教科書の採択を撤回した。
サンサン高側は「教学社教科書の採択後、学校のホームページや電話を介して、学校長と学校への人身攻撃と悪口が殺到した」とし、外部からの圧力に耐えられないことを示唆した。
来る3月から新しい韓国史教科書を使用することになる全国2300の高校の中で、教学社の教科書を採択したところを見つけるのが難しいほどだ。
サンサン高に先立って、20の高等学校が、教学社の教科書の採択をめぐる議論の末に採用を取り消した。

私たちの歴史教育は、特定の史観に偏向した学者たちと、それに同調する教師たちに引きずられてきたと言っても過言ではない。
教学社の教科書は、このような歴史教育の現実を心配し、育ち盛りの世代に正しい「大韓民国像」を植えようという趣旨で執筆された最初の歴史教科書であった。
教学社の教科書の教育現場への進入の失敗は、私たちの歴史教育を堅持している勢力の力がどのくらい強いのか、彼らの反大韓民国史観を修正するにはどのくらいの真心をさらに注いでいかなくてはならないのかを、逆説的に示した。

左派の一部は、昨年6月に教学社の教科書の内容が公開される前から、この教科書が「金九をテロリスト、柳寛順の女チンピラと記述した」と主張していた。
教学社の教科書に「親日・独裁の美化」というレッテルを貼り付けるために、ありもしない事実を作って扇動したものである。
ある野党の国会議員は、教学社の教科書の筆者にケチをつけるために、彼が在職している研究機関の休講記録や出張費の内訳を要求した。
教学社の教科書が教育部の検定を通過した後は、壁新聞やデモ、署名運動を通じて、採用妨害工作に出た。
教学社の教科書を採択した学校が、「親日・売国学校」という世論を押し切って採用を固守するのは容易ではなかっただろう。
教育基本法は「教育は、政治的・派閥的または個人的な偏見の伝播のための手段として利用してはならない」と規定している。
通常の国家検定に合格して採用された教科書が、外部の不当な圧力によって採用がキャンセルされたとすれば、これは教育の自律性に対する重大な侵害に該当する。

高校の韓国史教科書の編纂と採用プロセスは、大韓民国史をめぐる史観と理念の戦いであり、教科書自体の品質競争でもあった。
教学社の教科書が、特定のイデオロギーに偏った勢力が垂らした三重四重の障害物や妨害工作を越えて教育現場に根を下ろすには、かれらよりも数倍の細やかな準備と堅い覚悟が切実だった。
しかし、少なくない間違いと不適切な記述によって、そこから攻撃される口実を提供した。
日本軍慰安婦や植民地近代化論を巡って、誤解を招くような文があったのが代表的である。

今後の新しい歴史教科書は、中学・高校の教育課程の再改編されるときに出すことができる。
歴史教育を心配する力量ある学者たちが、大韓民国史を正しく教えて、生徒の想像力を刺激することができる興味深い歴史教科書を作るために、今から準備しなければならない。

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中央日報
【社説】2322対0は異常であり、狂気である
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=1032843&oid=025&aid=0002310223&ptype=011

全州のサンサン高が昨日、高校の韓国史教科書8種のうち教学社発行の教科書を選択することにした決定を撤回すると発表した。
今年3月に開校予定の京畿道坡州ハンミン高校が、教科書の採択を留保することにした。
これにより、全国の高校2322個のうち教学社の教科書を選択したのは、ただの一箇所も見られなくなった。
全教組はこれについて声明書で「非常識に常識が勝利した」と表現した。

市場で選ばれなかった存在であれば、消えるのが当然だ。
ただ、ここにも前提がある。
消費者がどのような選択をするか強制されない環境でなければならない。
市場に出てきた教学社を含む7つの教科書は、政府の検定を通過しており、このうち教学社は、イ・インホ ソウル大学名誉教授などの歴史学界の元老学者23人から「教育的に何の問題もない」という判定を受けたことがある。

それでもこの教科書を選択しようとして、サンサン高などのホームページの掲示板は、悪口と抗議に砲撃された。
 「金九はテロリスト」「慰安婦が日本軍に自主的についていった」という記述は、この教科書のどこを探してもないのに、堂々と存在するフレーズに変身した。
さらにサンサン高は、教学社と志学社の二種を選択して、生徒にバランスのとれた歴史認識を持つよう教えると言うと、全教組の全北支部は「ゴミや汚物は、わざわざ体験しなければ分からないというものではない」という声明を出した。

2322対0は、全教組の主張するように、常識でも正常でもない。
他の考えは少しも許さないという集団狂気の結果であるというだけだ。
政府は今回のことをきっかけにして、我が国の教科書検定システムの脆弱性を補完しなければならない。
悪宣伝と世論が幅を利かせる状況で、検定システムが保証する多様な視点、自由な思考は存立できない。
どれほどのことがあったら、ソウル地域の318校のうちの90カ所が、初めから韓国史の授業を1年生ではなく、2・3年生ですることに猶予して、教科書の選定を先送りするのだろうか。
選択を妨害し強要する一切の行為は、民主主義社会の敵である。
特段の措置を期待する。

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韓国経済新聞
【社説】教科書扇動に白旗を揚げた情けない教育界
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=962044&oid=015&aid=0003011374&ptype=011

結局、全州のサンサン高も、教学社の韓国史教科書の採択を撤回すると発表した。
当初は教学社と志学社の教科書を複数採用し、左右のバランスのとれた歴史観を教えたいという極めて正常な教育の意図が、異常な人民裁判に屈してしまったのだ。
「何の外圧もなかった」というサンサン高の校長の釈明が痛ましいほどだ。
今春開校予定の坡州ハンミン高も、全面的に見直しすると後退して、事実上撤回に傾いた。
全教組の公言のとおり、教学社の教科書はただの1カ所も使わない「採択率0%の教科書」になってしまった。

厳然として教育部の検定を通過した教科書について、学校現場の自由選択が保障されない昨今の状況は、到底納得できない。
自分の考えと違う教科書を打倒対象にして、集団いじめをかけることは、それ自体があまりにも反教育的である。
口では民主主義を叫びながら、教科書のわずかな間違いを口実にして、「親日・歪曲」教科書の烙印をおして、集団の圧力で殺す行動は、自らの左翼全体主義的な性格を如実に現わしている。

そうだとしても、最初から怖がって白旗を揚げた教育界も、非難を受けて当然である。
弁解の余地がない。
適切な教育をするという建学の理念を掲げた私学財団が、私学法の改正の騒動のときにそういう声を上げたところで、肝心の学生に何を教えるのかに対して関心がないのかを聞きたい。
建学の理念と教団を、自分で守らなければ誰が守るのか。
教育部も一歩遅れて、採用を翻した20校に外圧があったかどうかを特別調査すると騒いだが、事態をこんな状況にしてしまった責任から痛感すべきである。
左派陣営は、教科書問題を「歴史戦争の序幕」と公然と述べている。
教育界の卑怯な姿勢では、何かを守ることはできないだろう。
どんなに非難、脅迫、暴言が溢れても、駄目なものは駄目だといってこそ、必要な教育が始まる。
教団は自らを守る者である。

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韓国日報
【社説】常識の程度を超えた教育部の「教学社の救済」
http://news.naver.com/main/hotissue/read.nhn?mid=hot&sid1=110&cid=973848&iid=23078831&oid=038&aid=0002456012&ptype=011

教育部が、教学者の韓国史教科書を採択したのちに撤回した高校20カ所を対象に、特別調査に乗り出した。
教育部は、「通常の手続きを経て教学社の教科書を採択した学校の、選定の翻意過程に、外圧があったかどうかを把握するためのものだ」と明らかにした。
教科書の採択過程を巡って、教育部が特別調査を実施するのは異例だ。
特別調査に乗り出した理由が理解できない。
教育部は、教学者の教科書の選定の過程で、財団の圧力に対する問題提起があったときは黙っていたのに、選定撤回の動きが相次ぐと突然、特別調査の実施を発表した。
セヌリ党から撤回の動きを批判する声が出た直後という点が尋常ではない。
今回の調査は、法令違反や不当な行政行為があった場合に実施する特別調査対象に該当するかも議論がある。
教育部の特別調査が、教学社の教科書を救おうとしているという指摘が出てくるのは無理もない。

教学社の教科書を選定したあとのキャンセルは、生徒や保護者や同窓会などの自発的な要求から始まった。
最小限の歴史的事実すら正確に記述していない不良の教科書だからだ。
韓国史学会を代表する協会の7カ所が最近、教育部から最終的承認を受けた教学社教科書の最終版でも、652件の間違いが検出されたと発表している。
親日・独裁美化はともかくとしても、基本的な品質も大幅に低い教科書で教えたり、学びたいと思う人がいるはずがない。
教学社の教科書の採択率が実質的に0%というのは、それだけ教科書が駄目だということを示している。
このような普及率は、セヌリ党が主張するように、全国教職員労働組合の圧力と干渉だけで行うことができる数値ではない。

教学社の教科書採択と関連して、責任を負うべきなのは、資格のない教科書を取り除かずに承認し、学校現場に混乱をもたらした教育部である。
教育部が正道を把握できず、政権の顔色を見ていたから、消耗的な歴史歪曲・間違い論争や、教育現場の混乱をもたらしたのだ。
教育部は、名分も実利もない特別調査を中断しなければならない。
あえて調査をするなら、教学社の教科書を採択する方向で、財団や校長など上層部からの圧力があったのではないかを究明するのが正しい。

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日本の扶桑社の教科書をめぐる攻防と、ちょっとかぶるものがありますね。
ちなみに以下は、以前紹介した韓国の教科書についての簡単な説明です。

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韓国人が学校で教わり、日本が受け入れるべきと思ってる「正しい歴史観」を見てみましょう。
リンク先が読みにくいので、羅列してみました。
以下をざっと流し読むだけで分かる。

http://www7.plala.or.jp/juraian/ktextbook.htm

国定中学校国史教科書
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・歴史は今日の生を照らす鏡であり、明日を見通せる窓ともいう。したがって、歴史の叙述は過去が暗いからと隠したり、ないものをあると誇張してはならない。歴史の叙述は偏ることなく厳格でなければならない。(p. 4)

・君の古朝鮮建国はわが国の歴史がとても古いことを物語る。また、檀君の建国の事実と「弘益人間」の建国理念は、以後、わが民族が困難にあうたびに自負心を呼び覚ます原動力となった。(p. 20)

・また、伽耶の一部勢力が日本に進出し、日本の古代文化発展に奉仕した。(p. 44)

新羅の仏教は日本に大きな影響をおよぼした。(p. 74)

・新王朝を建てた勢力は古朝鮮を継承するという意味で国名を「朝鮮」とし、都を漢城に定めた。(p. 129)

・水軍が勝利を収め、義兵の活動が活発に展開されている頃、明の援軍まで到着して朝鮮は倭軍に反撃を加えるようになった。(p. 150)

・7年間の戦争は朝鮮の勝利に終わり、日本の侵略の意図は挫折した。日本は朝鮮を降伏させられず、領土も得られなかった。それにもかかわらず、この戦争で最大の被害を受けたのは朝鮮だった。(p. 151)

しかし、朝鮮からいろいろな文化財や先進文物が日本に伝わり、日本の文化発展に寄与した。(pp. 151-152)

通信使は日本の要請を受けて日本に渡り、手厚い待遇を受け、日本の文化発展に貢献した。彼らが訪れた後には、日本国内に朝鮮の文化と風俗が広まるほどであった。(p. 152)

・このような勢道政治が続き、各種の不正腐敗によって国は乱れ、あらゆる苦痛は民衆に帰ってくるしかなかった。(p. 178)

・民衆は国の政治が正され、西洋の侵略から国が守られることを願った。(p. 191)

・一方、明治維新を通して新しい国家体制を整えた日本も通商修好を要求してきたが、その外交文書に日本国王(天皇)が朝鮮国王を見下す表現と従来の外交慣行に反する内容があったので、朝鮮政府はこれを拒否した。(p. 196)

・日本に居住していた朴烈は、日本王室[皇室]の結婚式が行われた日に、日本国王[天皇]親子をとり除く準備をしていて発覚し、日帝が敗北するまで22年間も監獄で苦痛を味わった。(p. 279)

金九が率いた韓人愛国団の団員李奉昌は、1932年に日本の東京で韓国侵略の元兇である日本国王[天皇]を処断するため国王の馬車に爆弾を投げたが成功しなかった。(p. 277)

・江華島条約では朝鮮が自主国家であることを明らかにしたが、朝鮮に不利な規定が含まれていた。(p. 200)

・しかし朝鮮に勢力を浸透させる機会をうかがっていた清が軍隊を送って興宣大院君を拉致し、閔氏勢力が再び政権を握った。(p. 202)

・しかし朝鮮に勢力を浸透させる機会をうかがっていた清が軍隊を送って興宣大院君を拉致し、閔氏勢力が再び政権を握った。(p. 202)

・甲申政変以後も朝鮮に対する清の内政干渉は相変わらず激しかった。(p. 204)

・このように日本軍の侵略行為が露骨になると、農民軍は日本軍打倒を掲げて再び立ち上がった。(p. 211)

甲午改革はきちんと行われなかった。これは政治的、社会的不安と日本の侵略的干渉に対する国民の反感が大きかったためである。(p. 214)

・清日戦争が日本の勝利に終わり、それまで改革に消極的だった興宣大院君が退き、それぞれ日本とアメリカに亡命中だった朴泳孝、徐光範などが帰国して改革をおし進めた。政府は国王の名でわが国が独立国であることを掲げ、洪範14条を発表して改革の内容と精神を明らかにした。(p. 213)

・抗日義兵運動が展開され、国内の騒乱に乗じて、ロシアは彼らの勢力を拡大しようとした。(p. 226)

・清日戦争後、ロシアは満州鉄道敷設権を獲得するなど勢力を拡大させ、わが国にも勢力を浸透させようとした。(p. 235)

断髪令は表面的には朝鮮の近代的改革を掲げたものだったが、これには韓国の伝統を断ち切って韓国人の民族精神を弱めようとする日本の政略が隠されていた。(p. 225)

・開港以後続いていた日本の経済的、政治的侵略と明成皇后殺害に怒った国民の反日感情が、断髪令をきっかけに爆発して抗日義兵が起きるようになった。(p. 225)

・大韓帝国は露日戦争で勝利した日本に外交権と軍事権を次第に強奪されていった。わが民族はこのような日本の侵略に対抗して、強力な民族運動を展開した。(p. 234)

・アメリカに住んでいた田明雲と張仁煥は、日本の推薦でわが国に外交顧問として来ていたアメリカ人スティーブンスがアメリカに戻って日本の韓国侵略を支持する発言をすると、彼をサンフランシスコで射殺した。(p. 238)

・義兵将として国内外で抗日戦を展開していた安重根は、初代統監としてわが国侵略の先頭に立っていた伊籐博文がロシアの代表と会談するためにハルビンに到着したたとき、彼を射殺して民族の独立の意志を明らかに示した(1909年)。(p. 238)

・李在明は日本の手先だった李完用を刀で切りつけ負傷させた。羅喆と呉基鎬などは五賊暗殺団を組織し乙巳条約に賛成した乙巳五賊など売国奴を処断しようとしたが、成功しなかった。(p. 238)

・柳寛順は裁判所で「私は堂々たる大韓の国民である。大韓の人である私がお前たちの裁判を受ける必要もなく、お前たちが私を処罰する権利もない。」と叫び、抵抗した。(p. 269)

・金益相は朝鮮総督府に爆弾を投げ、金相沃は独立志士に残忍な拷問を行った鐘路警察署に爆弾を投げて大きな被害を与えた。そして、羅錫疇は東洋織績株式会社に入っていきその幹部を射殺し、日帝警察と市街戦をくり広げた。(p. 278)

・一方、同じ韓人愛国団員の尹奉吉は上海の虹口公園(現在は魯迅公園)で開かれた日本軍の上海占領祝賀記念式場に爆弾を投げつけて日本軍をこらしめた。尹奉吉義士の義挙は当時日本の侵略を警戒していた中国人に大きな感動を与え、中国政府と中国人が韓国人の抗日独立闘争に積極的に協力する重要なきっかけともなった。(p. 279)

日本はわが国の近代化のための事業という名目で道路と水道施設を整え、銀行、学校、病院などを設立した。こうした施設はわが国に来ている日本人のためのものであるにもかかわらず、これに必要な施設費は私たちの政府が日本政府から借款を得て負担するよう強要した。(pp. 250-251)

こうして長い間独自の文化を創造しながら発展して来たわが民族は国を奪われ、日帝の奴隷状態に陥るようになった。(p. 257)

しかし、このような日帝の新しい植民地政策は親日派を養ってわが民族を仲たがいさせ、分裂させようとする狡猾な政策であり、韓民族の団結を抑え独立運動をくい止めようとする方針には変わりがなかった。(p. 259)

植民支配下で韓民族は日帝の経済的な収奪にひどい苦痛を被った。この中でもっとも大きな被害は土地を侵奪されたことだった。(p. 260)

日帝はわが国の国権を奪った直後、土地の略奪を積極的におし進めた。総督府は土地所有関係を近代的に整理するという名分を掲げて、いわゆる土地調査事業をおし進めた。(p. 260)

・また、申告主義を原則としたため、土地申告をきちんと行わなかった多くの人々が被害を被ることとなった。すなわち、申告手続きが複雑でややこしく、日帝が実施するものだったため反日感情が先に立ち、これに従わない場合もあった。(p. 261)

・さらに民衆の土地や村の人々の共有地、そして王室や公共機関に属していた多くの土地は持ち主のいない土地に分類され、総督府の所有地となる場合が多かった。(p. 261)

・総督府はこのように略奪した土地を東洋拓殖株式会社など日本人が経営する土地会社や韓国に渡ってきた日本人に安く譲り渡し、日本人が多くの土地を所有できる条件を整えた。(p. 261)

こうして、日帝は韓国の産業に対する侵奪を積極的におし進め、韓国を大陸侵略の足がかりとするため鉄道と道路、港湾と通信などの施設を整えた。(p. 264)

・そして日帝は私たちの民族精神を根絶やしにするため、いわゆる日鮮同祖論を主張し、内鮮一体と皇国臣民化のスローガンを掲げた。また、韓国語の使用を禁じ、日本語だけを使わせ、私たちの歴史を教えることも禁じた。ハングルで刊行されていた新聞も廃刊させ、韓国語と歴史に対する研究も禁止させた。(p. 263)

さらに、日帝は私たちの名前までも日本式氏と名前に変えるよう強要し、各地に日本の神社を建てて参拝させ、子どもたちにも皇国臣民の誓詞を覚えるよう強要した。(p. 263)

日帝は女性たちも勤労報国隊、女子勤労従軍挺身隊などの名で連行し、労働力を搾取した。さらに多くの数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦として非人間的な生活をさせた。(p. 264)




金星出版社版・韓国近現代史(高校)
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・およそ世界の強暴な国は日に日に弱国を侵呑し, 弱い種族を淘汰することを事としており、その惨毒を受けた者が列をなすが、わが韓国のような国はないようだ。古今の亡国として比較して、例えば、スウェーデンがノルウェーと、オーストリアがハンガリーといずれも合併したとは言うが、その民族の待遇は等級を置かないのに、韓国人もこのようだと言えるか。トルコがたとえエジプトを合併したがいまだその王をそのままにして祖先の祀りが途絶えないようにしたが、韓国の皇帝は蛮夷から爵位を受ける体たらくになった。英国がカナダ等の地でその憲法を持つことを承認し保障してやり、議会を建てこれを維持させ、他の国と締結した条約を全ていちいち保存するようにしているが、韓国人はこうした権利を獲得することができたのか?
彼らの韓国に対する施政は台湾で行うものと同じで差異が生じないようにしたが、台湾は国でもないのに同じ扱いをしているが、これは亡国としてもっと低い者として扱うものだ。また、およそ人は服を着て穀食で腹を満たすものだが、土を食らい泥水を飲む虫と同じではない。すなわち、生活を助けるのはただ産業があるだけだ。あの英国がインドとエジプトで、フランスがベトナムで、米国がフィリピンでたとえ力づくでその国権を奪ったが、民衆の財産は真に自分自身が保存できるようにした。日本は貧しい国だ。窮乏した民衆が多く、財政はますます悪化し負債はますます増えて行く。だから苛酷な税金と横暴な搾取を韓国人に加えるためその条目が煩雑なほど多い。そして空手で韓国に渡って来る貧しい日本国民が雲霞のように群がって来るが、わが国民の財産を奪わなくては生活して行けない。彼らの政府は植民することだけに急で、また彼らに与える物資がないため、たとえ韓国人に寛大な政治を施して生命の列を保存しようとしても事情が許さない。このように見れば、昔と今の亡国の惨状が韓国より酷い所をどこに見出すことができるか。天と地は遥かで、弱弱しい息づかいがぜいぜいと苦痛を訴えることを自ら止めることができない。

・米朝修好通商条約も江華島条約と同じく不平等な条約で、領事裁判による治外法権はもちろん最恵国待遇まで規定されていた。しかし江華島条約と異なり、比率は低いが輸出入商品に対する関税条項が入っていた。

しかしこうした改革は日本の侵略を随伴しており、斥邪儒生と多くの民衆の反発を呼び起こした。

・甲申政変以後清は余勢を駆ってさらに露骨に内政干渉をした。日本も侵略の足場を失わないために清と談判し、朝鮮から清・日両国の軍隊がすべて撤収することと、前もって朝鮮に軍隊を派兵する場合には互いに通告することを内容とする天津条約を結んだ(1885)。

・しかし俄館播遷以後朝鮮政府はロシアの干渉を受けざるを得なかった。

・日帝が乙巳条約の強制締結後大韓帝国を完全に併合するまで5年もかかったのは義兵抗争も大きな要因として作用した。

・倭奴ウェノムに従う奴らは聞け
畢竟あいつら[親日派官僚]が悪辣で、面長と洞長を捕えて行き、倭奴どもに追従し、貧しい部落に数千金のカネをばらまいて納めさせたが……天の道は元来正しいはずなのに、なぜ結局あいつらだけが永久に安楽に暮し、義兵と民間にはいつも怨讐を晴らす日を失わせるのか。 ……ああ!わが政府には大臣の職責を担う者どもが倭奴に従い、国を食いものにしている。汚い奴らだから期待することさえないが、いわゆる税務を遂行する面長などはわれわれと同じ民間人なのに……ああ!貴様らはなぜ禽獣になろうとするのか。よそ者の倭奴を敬うこと少しの忌憚もなく喜んで奴隷となり、倭奴の命令なら厳格に従うことわが主君の命令より厳格にして、民生の財物を奪うこと流星のごとく迅速で、わが主君を裏切り倭奴に忠誠を尽くし、実の親を捨て倭奴に恭敬し、忠誠と孝道の名誉を得ようとするのが貴様らでなくて誰だというのか。(金海山『陣中日記』)

・ 尹奉吉が投げた爆弾は、白川大将ら壇上にいた多くの日本軍将官と高官を殺したり負傷を負わせた。この義挙で戦勝祝賀式場はあっという間に阿鼻叫喚になった。

・ しかしこれは朝鮮人の不満をなだめようとする日帝の欺瞞的な術策だった。

・ 日帝は植民地生産力を高め、さらに効果的に収奪をする目的で、産業博覧会を開いた。

・ 朝鮮総督府は併合直後、臨時土地調査局を設置したのに続き、1912年には「土地調査令」を公布して本格的に土地調査事業に乗り出した。日帝はこの事業が地税を公正にし、土地所有権を保護し、土地の生産力を高めるものだと宣伝した。しかし実際には土地所有権を新しく法的に確定し、地税を安定的に確保することにその目的があった。また、土地の売買と抵当を自由にすることで日本人がたやすく土地に投資できるようにした。

・ 1918年に土地調査事業が終わったとき、事実上農民の所有だった多くの農地と公共機関に属していた土地、村または宗族の固有地で名義上の持主を申し立て難い洞中・門中の土地の相当部分が朝鮮総督府の所有になった。この過程で多くの紛争が起きたが、その解決は日帝に有利な方向で進行された。朝鮮総督府はこのように奪った土地を、東洋拓殖株式会社をはじめとする植民会社や日本人に安値で売り渡した。

・ 日帝は足りない米を朝鮮で確保する目的で、産米増殖計画をたてた。土地と水利施設、種子等の改良を通じて食糧生産を大幅に増やし、日本にさらに多くの米を持って行き、わが国の農民の生活も安定させるというのが目標だった。米の生産量はある程度増えたが、本来の計画どおり推進されなかった。反面、日本へ米の搬出量は継続して増え、1934年にはほとんど目標量に近くなった。これによって朝鮮内では食糧が不足し、満州から持ち込んだ雑穀等で食糧を充当して行った。

・ かくして日本の独占資本は、朝鮮総督府の支援を受けて軍需産業に集中的に進出し、これらの産業が奇形的に膨張した。この時期の軍需産業は、主に北部地方に集中配置された。1938年頃には、工業生上額が農業生産額より多くなる程度に工業化が進んだ。しかし消費財の生産は大きく減った。日帝による植民地工業化の結果、工業発展の地域的偏差はもちろん、農業と工業、軽工業と重工業間の産業間不均衡が大きくなった。

・ このような変化は皆肯定的に受け入れられたのでもなく、わが国の様々な地域で同時に進行したのでもなかった。このような変化の裏には植民地民の悲しみと抑圧、そして憤怒が染み込んでいた。

・ 1920年代末に電気が普及すると、ソウルの夜の街も変わった。ネオンサインが登場し、通りを明るくして人々を誘惑した。ネオンで治粧した都市の商店陳列場は新しい流行を伝えた。しかしこうした風景の背後には、日帝下の庶民たちの苦しい生活が隠されていた。

・ 日帝時期、タクシー等の自動車が登場して都心からは次第に人力車が駆逐され、牛を利用した車が消えて行った。人力車に頼って暮した庶民たちは、自動車の登場で生存権の脅威にさらされ、列車は夢と希望と憧憬よりは植民地民衆の傷跡として残り、われわれに悲しみを植え付けた。

・ 女性たちの社会的活動も活発になって行った。このような生活は、言論とマスコミを通じてさらに拡散して行った。しかしすべての女性たちに適用されたのではなかった。

・ 日帝が侵略戦争を遂行しながら行った最も反倫理的な犯罪行為は、女性たちを戦争に強制動員したことだった。初めには任意に朝鮮女性たちを動員した日帝は、戦争末に至り「女子挺身勤労令」を作ってこれを法制化した(1944)。挺身隊という名で動員された女性たちのうち、一部は日本と朝鮮の軍需工場に送られ強制労役を強いられ、また他の女性たちは戦場に送られ日本軍「慰安婦」として利用された。

・ 示威がある所には日本軍の無慈悲な殺戮が後に続いた。全国各地の監獄は万歳示威で捕らえられて来た人々で一杯になり、華城堤安里をはじめ全国各地で日本軍の虐殺蛮行が恣行された。

・ 3.1 運動、その中でも柳寛順が先頭に立ったアウネ市場の万歳運動は壮烈だった。いまだにアウネの三叉路には、あの日の泣き叫ぶ喊声がこだまするようだ。

・ しかし主権を喪失し日帝の経済的収奪が強化されると、生活基盤を喪失した多くの農民たちが日本に渡って産業労働者として就業した。これらは劣悪な労働環境で日本人資本家に搾取され、民族差別であらゆる侮蔑を受けた。

・ ついに日帝は内乱罪という途方もない罪をでっち上げ、これらを監査局に渡した。裁判にかけられた人々は、いつ開かれるとも知れない裁判を待ちながら、刑務所での苦しい生活を続けざるを得なかった。苛酷な拷問で、李允宰と韓澄は獄中で死亡した。

・ これに先立ち、1940年にはすでに親日言論に変質していた東亜日報・朝鮮日報まで強制廃刊する等、ハングルを使用するすべての新聞と雑誌をなくした。

・ これらのうちには日帝の脅迫に耐えかねやむをえず名前だけ掲げた人もいたが、自発的に率先して参与した人も多かった。しかしどの場合であれこのような親日派の蠢動はわが民族史の汚辱であり、民族精神に容易に拭えない害悪を及ぼした。

・ 親日活動には李光洙等の文人はもちろん、教育・芸術・宗教界の著名人と多くの知識人たちが加わった。

・ しかし日帝末期に至ると多くの宗教団体と宗教指導者たちが親日活動に積極的に出て、戦時動員体制に参与した。これらは日帝植民地政策を弘報するのはもちろん、日本軍を慰問したり慰問金の募金行事を開いたりした。

・ 1930年代後半に日帝の精神支配体制が本格化すると、多くの芸術人たちが親日的な芸術活動に参与したが、これは光復以後わが芸術界が克服すべき課題となった。

・ 日鮮同祖論は韓民族の独自性を否定し、日本の朝鮮併合と植民地支配を当然のことと受け入れさせることに目的があった。また1930年代に日本が掲げた内鮮一体の根拠に利用された。

・ このような主張[停滞性論]は、わが国の近代化のためには日本の役割が必要だという侵略美化論につながった。

・ いまだにわが社会の一角では、朝鮮王朝が党争で亡びたとか、わが民族は派争意識が甚だしいという主張を当然のものと受け入れる場合が多く見られる。

・ 他律性論は、韓民族の性向が積極的・自律的ではなく受動的・他律的だと非難するものだった。これを通じて、わが民族が帝国主義時代に日本の支配を受けるのは当然という論理をたてようとすることに目的があった。




代案教科書・韓国近現代史
*大論争を巻き起こしてる、いわゆるニューライト。これが教学社の教科書へと繋がっていったものです。
ただ、以下の文章は正式の教科書に記載されたものではないです。
叩かれまくって、修正しまくったので、以下の記述は教学社の教科書からは影もカタチもなくなってると思います。
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・1894年8月7日、尹致昊(ユンチホ)は英文日記で閔王后に対して次のように書いた。「彼女の執権期にわたって彼女の信条は‘どんなことが起こっても良い。われわれ三人だけ安全なら’だった。三人とは王と王后と王子である。この至毒な利己主義は、彼女にふさわしい破滅をもたらした。」

・ 一方で甲申政変を低く評価し、その主役たちに植民地化の責任まで問うのは、1880年代当時韓国を半植民地に追い込んだのが日本ではなく清だったという事実を無視する問題点を抱えている。

・ 清の敗北で1895年4月に締結された下関講和条約は、韓国が「完全無欠な独立自主国」であることを確認し、「独立自主」を損う清に対する朝貢と事大関係を廃止するよう規定した。こうして韓国に対する清の宗主権は完全に廃棄された。この点で、日清戦争は開港以後にも清が維持しようとした東アジアの伝統的国際秩序である朝貢体制を最終的に解体した。しかし韓国の「独立自主」は、清に対してのみ意味を持った。日清戦争以後韓国は、清に代わった日本の支配下に入って行った。

・ (伊藤博文が)1906年大韓帝国初代統監として赴任した。韓国を日本の保護国として置こうという立場を取ったが、1909年4月の統監辞退直前に韓国併合方針に賛成した。

・ 以後統監を辞退した伊籐は、1909年10月ハルビン(哈爾濱)で東洋平和の大義を損ねた罪を問う安重根に被殺された。以後併合論はさらに強化され、1910年6月に東京で日本政府と統監府の人物から成る併合準備委員会が発足した。

・ 日帝の韓国支配は、韓国人の政治的権利を否定した暴力的抑圧体制だった。国内外の韓国人たちは不屈の闘争で独立の権利をついに勝ち取った。その時期は抑圧と闘争の歴史だけではなかった。近代文明を学習し実践することで、近代国民国家を建設し得る「社会的能力」が厚く蓄積された時期でもあった。

・ 土地調査事業によって所有権が事情された土地は、全国で総計1,910万7,520筆地に達した。そのうち所有地の申告どおり所有権が査定されたものが1,900万1,054筆地で、99.5%の絶対多数を占めた。その一方で無申告地として国有地に編入されたものは、主に墳墓地や雑種地だったが、合計8,944筆地(0.05%)に過ぎなかった。総督府が申告が何かも知らない韓国農民に申告を強要し、全体の40%に達する無申告地が発生すると国有地として没収したという既存の主張は、元来から根拠がないものだった。

・ 増産された米の相当部分は、日本に輸出された。1910年代後半に比べ1930年代の年平均米生産量は700万石仮量増加したが、そのうち570万石が日本に輸出された。

・ 植民地時期に韓国人の生活水準が日帝の収奪で極度に劣悪になったと見るのが、従来の通説だった。例えば生産された米の折半を日本に奪われ、韓国人は草根木皮の惨めな生活を強要されたといったものである。このような収奪論には、実証的な根拠が確実でないという問題点がある。米は日本に収奪されたのではなく、経済論理によって日本に輸出され、それによって日本人を包む韓半島全体の所得は増加した。米の代りに満州から粟と豆が代用食品として輸入された。米の1人当り消費が減少したのは事実だが、雑穀等の代用食品とその他の加工食品を総合的に考慮するとき、1人当り熱量摂取が減ったとは断言できない。生活費のうち食料品費の比重を表すエンゲル係数も下落し、人々の生活水準が改善したことを示唆している。1890~1920年代に生まれた韓国人たちの背が1~2cm大きくなったことも、生活水準の改善を意味する。

・ わずか30年の間に人口が50%を超えて増加したのは、公衆保健と医療の改善で死亡率が低下したためである。特に乳児死亡率が大きく低下した。伝統時代には紅疫病・コレラ・天然痘等の伝染病が流行し、これが飢饉と相まって人口の増加を抑制した。総督府は保健衛生業務を警察の所管とし、食水と飲食等の汚染源を管理して予防接種に力を入れ、伝染病の発生と伝播を防いだ。

・ 植民地韓国は、西洋帝国主義が支配した他の植民地とは異なり農業植民地に固着せず、1920年代以後工業が相当な水準に発展する特徴を見せた。それは韓国と日本が地理的にきわめて近く、両市場が密接に統合される中で、日本の過剰資本が韓国に渡って来て工業に投資されたためである。

・ 朝鮮王朝の林野政策は、公有の名分を掲げ私有林を認めなかったため、林野の私的管理主体がなく山林が荒廃する副作用があった。これと異なり総督府の林野政策は、林野の私的管理主体を創出し森林緑化を推進する方向で施行された。

 韓国人地主は小作農の管理を管理人に任せっ放しで、農業に積極関与しない者が多かった。それに比べ日本人地主は、米の生産と流通過程を細密に管理・統制した。

 このように韓国人に加えられた新しい規律は、日帝の植民地支配のためのものだったが、近代社会の規律として韓国人の日常生活と精神文化に徐々に内面化されて行った。

・ 解放後韓国ではこの挺身隊を日本軍の慰安婦と混同して来たが、このふたつは正確に区分する必要がある。

・ 1942年5月上旬、日本人代理業者が「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を募集する目的で韓国に到着した。この代理業者が女性たちに提示したのは高額の給与、家族の借金返済、簡単な仕事、新天地シンガポールでの新しい生活等だった。このような誘いに乗って多くの女性が海外就業に志願し、何百円かの前貸金を受けた。これらは大部分無知で教育を受けられなかった女性だった。






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