*同じ記事をふたつ挙げてしまったので、片方を消しました。コメントいただいた方、すみません。

[パク・ドンイの野球探査]誰が韓国と日本の「怪物」を「退物」にしたのか
http://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=295&aid=0000001074&date=20131004&type=1&rankingSectionId=107&rankingSeq=1
八年間、お疲れ様でした。
韓国で記事になってました。

↓2005年9月1日、第6回アジア青少年野球選手権大会に先立って、取材陣に向かってポーズを取る辻内崇伸とハン・ギジュ
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LAドジャースの先発投手、リュ・ヒョンジン。
楽天ゴールデンイーグルスの投手、田中将大。
韓国と日本が誇る「怪物」投手だ。
リュ・ヒョンジンは、韓国プロ野球最高の投手として君臨し、今シーズン、大リーグに進出して14勝8敗、防御率3.00を記録した。
韓国だけでなく日本でもリュ・ヒョンジンは、「アジアを代表する特級投手」と好評を聞く。

田中も勢いがすごい。
田中は10月1日、日本ハムファイターズ戦で勝利投手となり、今季開幕23連勝に成功した。
昨シーズン終盤の4連勝を加えれば、27連勝。
今シーズンを最後に、田中はアメリカ進出が有力な状況だ。

今では韓日野球界を代表する大投手へとそびえ立ったが、8年前のこの時期、両方の投手はまだ「怪物」ではなかった。
当時、「怪物」と呼ばれた投手は別にいた。
まさにハン・ギジュ(KIA)と、10月1日引退を宣言した辻内崇伸(前巨人)であった。


2005年秋、韓日のモンスター、「ハン・ギジュ-辻内」の対決

↓ユース代表時代の辻内
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8月に日本を訪れた。
日本の某球団のスカウトと色々な話を交わして、「新人スカウトの時に、何に注目するのか」と尋ねた。
帰ってきた答えは「現在の技量よりも、将来の可能性に注目する」というものだった。
そのスカウトは「高校生​​投手の場合、いくら速球球速が速くても、全体的な投球メカニズム、骨格、耐久性などが低下すれば、『第2の辻内』になってしまう可能性がある」とし、「新人スカウトでは、必ず多面からの評価が必要だ」と力説した。

辻内崇伸(26)。
今は「失敗した新人スカウト」の代名詞と呼ばれる選手だ。
しかし8年前は、辻内は、すべての球団が手に入れたがった「怪物投手」だった。
韓国の野球界でも辻内は、多くの日本のプロ野球選手よりも、よく知られていた。

2005年、大阪樟蔭高校の3年生だった辻内は、その年の日本の高校野球の最高のエースに選ばれた。
夏の甲子園大会で時速156kmの剛速球を投げて全国に名前を知らせた。
時速156kmは、当時の日本の高校の左投手の中で、歴代最高の球速だった。
さらに辻内は、同大会での競技で、19奪三振を記録したのに続き、4試合連続の二桁奪三振をおさめて、「ドクターK」の名声を得た。

その年の9月に、仁川ムンハク球場で開かれた、第6回アジア青少年野球選手権大会で、辻内が、日本の代表チームのユニフォームを着て出場したのは当然だった。 
1998年、松坂大輔の活躍で3回大会で優勝した以後、無冠だった日本は、今度は辻内を掲げて、7年ぶりの優勝旗奪還を狙っていた。
当時の日本代表チームは「我々のチームのエースは辻内」と言いながら、「『宿敵』韓国の前に、必ず辻内を登板させる」と公言した。
ムンハク球場には、日本のプロチームと大リーグチーム、合わせて合計15球団のスカウトが総出動して、辻内を観察した。

↓アジア青少年野球選手権大会決勝戦に登板したハン・ギジュ
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それでも韓国がたやすくいくはずがなかった。
日本に『左腕速球投手の辻内崇伸』がいれば、韓国には『右腕速球投手のハン・ギジュ(26)』がいた。
当時、光州トンソン高の3年生だったハン・ギジュは、「今すぐプロで投げても10勝できる」という評価を聞くほどのモンスター投手だった。
速球の最高球速は、時速154km(当該年度KIAスカウトチームの測定値)に達し、フォークボールとスライダーとカーブなどの変化球を自在に投げた。
フランチャイズ球団のKIAは、そんなハン・ギジュを大リーグ球団に奪われないように、契約金10億ウォンを賭けた。
韓国プロ野球史上初の契約金10億ウォン時代を開いたハン・ギジュを、日本の記者たちは「百万ドルの男」と呼び、大きな関心を示した。

決勝前までには、両方の投手の明暗が分かれた。
まず、辻内。
彼は予想通り好投した。
辻内は、9月4日に行われた予選リーグの第1戦の台湾戦で、6イニング無失点の好投を見せた。 
5人連続奪三振を含めて、合計9つの三振を取ったし、ヒットは1つしか出さなかった。

翌日に行われた予選第2戦の韓国戦でも、辻内は先発で登板して、9回まで完投した。
結果は4安打、10四球、無失点。
辻内の好投で日本は、台湾、韓国を破って、簡単に準決勝に上がった。
前日の台湾戦で94個のボールを投げた辻内は、この日の韓国戦でも投球数165を記録して、二日間で合計259個のボールを投げぬく怪力を発揮した。

いくつか「オーバードライブ(酷使)ではないか」という懸念を示した者はいたが、日本代表のサコダヨシアキ監督は、「辻内はボールをたくさん投げるほど、より強いボールを投げる投手」とし、「2日間で259個のボールを投げたことが、大きな問題になることはない。正常の投球だ」と主張した。
辻内も「腕に格別の負担はない」と明らかにした。
この時、サコダ監督と辻内は、自分たちの言葉がどれだけ致命的な結果に繋がるかもしれないということを、全く想像していない様子だった。

勢いに乗っていた辻内とは異なり、ハン・ギジュは準決勝までに多少苦戦した。
予選の初戦の台湾戦で、簡単に一打者をライトフライアウトと簡単に処理したハン・ギジュは、第2戦の日本戦では登板しなかった。
期待していた「ハン・ギジュ-辻内」の正面対決は、一度失敗した。

代わりにハン・ギジュは、準決勝の台湾戦で、韓国が4対1でリードした9回表の2死1塁の場面で登板した。
時速150kmの剛速球で、台湾打線を封じ込めるかに見えたハン・ギジュは、しかし炎の2点本塁打を打たれ、さらに二打者連続安打を打たれて、4対4の同点とされた。
結局ハン・ギジュは、アウトカウントを一つも取れないまま、マウンドをキム・ガンヒョンに譲って降板。
この試合で韓国は、延長10回裏のチェ・ジュファンのサヨナラ安打で5対4の辛勝をおさめて、かろうじて決勝に進出した。

↓二人の対決を1面で紹介したスポーツ紙
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ハン・ギジュと辻内の対決は、決勝で行われた。
実はこの日、韓国の先発投手は、キム・ガンヒョンが有力だった。
左打者の多い日本打線に対抗するには、左投手が有利だという計算だった。
ただでさえキム・ガンヒョンは、予選第2戦の日本戦で、5回までノーヒットノーランを記録していて、準決勝の台湾戦ではハン・ギジュからマウンドを受け継いで、1と1/3イニングを無失点に防いで、チームの勝利への足場を用意したことがあったからだ。

しかし決勝戦当日。
韓国のコーチングスタッフは、先発投手をハン・ギジュに確定した。
ハン・ギジュが先発投手を自ら要望したというのが理由だった。
後日ハン・ギジュは、「メディアが連日、自分と辻内を、韓日ライバルとして描くので、ぜひ一度対戦したいと思った」とし、「監督にお願いして、紆余曲折の末、先発として登板することができた」と回想した。

↓2005年第6回アジア青少年野球選手権大会'韓国 - 日本の決勝戦ハイライト
*ハイライト動画、リンク先にあります。

 決勝戦、8回まではハン・ギジュが辻内を圧倒した。
ハン・ギジュは、8回まで時速153kmの剛速球(韓国側スピードガン基準)を投げて2失点した。
一方辻内は、8回まで時速155kmの剛速球を投げて好投をしたが、4​​失点で敗戦の危機に追い込まれた。
ライバルとの対戦で、判定勝ちを目前にしたハン・ギジュ。
しかし、9回から幸運の女神は、ハン・ギジュに微笑まなかった。

ハン・ギジュは、9回裏で1アウトを簡単に取ったが、二番目の打者にレフト前ヒットを打たれて停滞した。
監督はマウンドに上がって投手交代をしようとした。
しかしハン・ギジュは「次からの打者が右打者たちだから、自信がある」と監督を説得した。
結局、監督はマウンドから降りたし、ハン・ギジュは、代打のマサキシュウヘイと勝負を繰り広げた。
結果は、予想外の2点本塁打。
勝利を目前にして、韓国は炎の2点本塁打を打たれて同点とされた。
そしてこのホームランで、ゲームの雰囲気は日本へと傾いた。

案の定。
延長10回裏。
日本は、先頭打者のコジマヒロキが、韓国の二番手のキム・ガンヒョンに勝り、サヨナラソロホームランを放って、5対4の劇的な逆転勝ちに成功する。

決勝戦でチームの勝利を守りきれなかったハン・ギジュは、頭を下げたままムンハク球場の外に出た。
一方、延長10回までに173個のボールを投げて完投した辻内は、日本の優勝に歓呼して、喜びの涙を流した。
辻内は大会最高勝率(10割)と防御率(1.08)をさらって、大会最高のスターに浮上した。



巨人のドラフト1位指名者の厳しい現実

↓辻内(写真右・制服を着ている)は、高校を卒業すると、アイスクリームのような甘い未来が待つことを期待していた。しかし彼を待っていた現実は、氷のように冷たくて冷ややかだった。
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ハン・ギジュは大会前、すでにKIAとの契約を終えた状態であった。
しかし辻内は、大会が終わってから、ドラフト会議に参加した。
アジア青少年野球選手権大会で一躍スターに浮上した辻内に、多くのチームが注目した。
その中で、オリックス・バファローズと読売ジャイアンツが、辻内の獲得に最も積極的であった。

2005年10月3日に開かれた高校生ドラフトで、両チームが同時に辻内を1位指名した。
2チーム以上が同時に指名した場合、抽選で最終的な交渉権を決める。
2つのチーム関係者は、一枚ずつ抽選券を抜いた。
最初に喜んだのはオリックスだった。
抽選者として出た中村勝広オリックス監督は、抽選券を引いて歓声をあげた。
逆に巨人の抽選者堀内恒夫読売監督は、中村監督の歓声を不思議そうに見つめて、テーブルに戻ってきた。

辻内は、無数に降り注ぐカメラの洗礼の中で、固い表情で「オリックスは非常に良い球団だと思う」と述べた。

しかし、オリックスの歓声もつかの間。
読売の関係者が主催者側のもとに行って抽選券を見せて強く抗議すると、しばらくしてから、場内に次のような案内が流れた。
それは、「辻内の交渉権は巨人」ということだった。
一部始終はこうだった。

もともと二枚の抽選券には、別の印が押されていた。
一つは「交渉権確定」という印であり、他の一つは「日本プロ野球機構」と表示された印で、こちらは「ハズレ」だった。
しかし「日本プロ野球機構」という印を押された抽選券を引いた中村監督が、これを「交渉権確定」を意味する抽選券であると誤認したことから生じた、希代のハプニングだったのだ。

数分後に入団チームが変わったと聞かされた辻内は、固い表情でオリックス入団を受け入れたときとは違って、明るい微笑みで「子供の頃から巨人ファンだった」として、「好きなチームに入団することになって、非常にうれしい」という本心を打ち明けた。

*↓これですね。当時ニュースで見た記憶あります。
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読売は辻内に、契約金として1億円(約11億ウォン)を提示した。
松井秀喜以来、久しぶりに入団した甲子園の星出身の新人だったから、巨人は契約金を惜しまなかった。
一方で巨人は、内心で辻内が、2002年のドラフト1位で入団し、デビューシーズンで6勝を挙げた高卒新人の真田裕貴や、2005年に高卒新人として入団し、デビューシーズンで5勝を挙げたダルビッシュ有のように、すぐに戦力になるように願った。

↓巨人に入団した辻内の春キャンプのニュースを1面で伝える、日本のスポーツ専門紙
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しかし辻内は、ダルビッシュにはなれなかった。
1979年のドラフト1位で巨人に入団したが、1軍の試合で1試合も走ることができずに退団した、高卒投手の林昌範に近かった。
*訂正、「林昌範→林泰宏」です。ご指摘ありがとうございます。

2006年辻内は、左の肩の痛みと制球の乱調が重なって、1軍の舞台に立つことができなかった。
プロ2年目の2007年は、左肘の負傷で手術台に上がって、1軍の舞台を踏むのに失敗した。 
2008年に再びボールを握って回復を夢見たが、2011年までの彼の主な舞台は、2軍や国外の教育リーグであった。 
2012年に最後のチャンスが訪れた。その年の8月、読売入団以来、初めて1軍に召還されたのだ。

当時辻内は、「長い間待った甲斐があった」とし、「1軍でしっかり実績を残せるよう、死にもの狂いに力を尽くす」と約束した。
しかし、約束は実現しなかった。
辻内は1軍昇格して6日後、ボール一つ投げることができず、荷物をまとめて再度2軍に降りて行った。
そして、今シーズン。

再び左肘が故障して、関節の手術を受けて、辻内のチーム内での立地は、目に見えて狭くなった。
最終的に、8月31日の日京大との交流戦に出たが、速球の球速が時速120km台しか出なかったため、巨人は希望のひもを切って、10月2日、辻内を放出した。
辻内も放出の決定について、淡々とした表情で「肩と肘の痛みから解放されて、安心した」と言って「もう野球をやめて、新しい仕事を探して、第2の人生を生きる」と、引退の意思を明らかにした。

プロのキャリア8年の間に、肩と肘の負傷で苦しんだ辻内。
彼は新人指名会議で1位指名されたが、一度も1軍のマウンドを踏まないままチームを去る、巨人史上4人目のアンラッキーマンとなった。


ハン・ギジュと辻内は、怠惰な天才?いや、その反対だった。

↓2005年アマチュア最優秀選手賞を受けた光州ドンソン高のハン・ギジュと、プロ野球の新人賞を受けたサムスンのオ・スンファンが握手するシーン
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ハン・ギジュは、同い年の辻内より開始が良かった。 
2006年にKIAでユニホームを着て、プロにデビューして、10勝11敗8ホールド1セーブ、防御率3.26を記録した。
プロ2年目からはおさえに転向して、2007年には25セーブをあげた。
2008年には26セーブ、防御率1.17を記録して、リーグトップクラスのおさえとしてそびえ立ち、その年に開かれた北京五輪の代表チームのメンバーとして出場した。

しかしハン・ギジュの全盛時代も長くは続かなかった。 
2009年に肘の靭帯接合手術、2011、2012年に指の手術、2013年に肩の手術を受けて、登板数が激減していて、存在感も希薄になった。
ソン・ドンヨルKIA監督は、「現在、ハン・キジュは、肩の手術後のリハビリ中」としながら「来年マウンドに立つことができるかどうか、確信できない状況」と話した。

ハン・ギジュと辻内。
なぜ1987年生まれの同い年の韓日の怪物投手は、プロ入り後、「怪物」から「退物」になったのだろうか。
巷で言われているように、努力が不足していて、精神力が貧弱だったからだろうか。
努力不足は事実ではない。
ハン・ギジュは、歴代のKIA監督が「あまりにも練習量が多い」と心配していた投手だ。

辻内も同じだ。
記者は辻内を何度も見たことがある。 
2008年、巨人の2軍で彼を見た時、巨人にいる韓国人バックアップキャッチャーのファン・ジンさんが「辻内は誰よりも熱心に汗を流す選手」「野球への情熱と礼儀は、同じ年頃の投手たちよりも数倍強い選手」と評価した。
他の球団関係者も「辻内は貧しい家の実質的な家長で、彼の腕一つに家族の生活がかかっている」とし「そのためか、何とか成功しようという意志が非常に強い」と述べた。


肘の靭帯損傷で、投げるのが奇跡だったハン・ギジュの隠れた話

↓ハン・ギジュが見つめる未来は明るかった。しかし彼の頭上には、暗い暗雲が広がっていた。
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二投手のプロ成功を妨げたのは、酷使による損傷だった。 
KIAは2005年5月に「縁故地の1次指名対象者」であった​​光州ドンソン高3年生のハン・ギジュの肘の状態をチェックした。
そのころにあった大統領杯大会後、ハン・ギジュが肘の痛みを訴えたからであった。
ハン・ギジュは、後に「大統領杯準決勝のとき、最初から肘が痛かった」と打ち明けた。

病院の診断結果、肘の靭帯が少し損傷しているという所見が出てきた。
担当の医師は「中学校から高校1、2年生の時までにたくさん投げていて、肘の状態が良くない」とし、「十分に休息をとれば、これ以上悪化しないだろう」と説明した。

KIAは複数の経路を介して「ドンソン高が大統領杯で優勝したから、8月に開催されるボンファン体育大会では、ハン・キジュにたくさんのイニングを投げさせないでほしい」という意味のことを、学校側に婉曲的に伝えた。
おかげでハン・ギジュは、おさえとして出場して、短いイニングを消化した。
代わりに2年生のヤン・ヒョンジョン、1年生のユン・ミョンジュンが奮闘した。

KIAのハン・ギジュの保護は、しかし、アジア青少年野球選手権大会でブレーキがかかってしまう。
ジョン・ジェゴン前KIA監督は、「可能なら、ハン・ギジュが、先発ではなくおさえとして出て、いくつかのイニングだけを消化してほしいと望んだ」とし、「しかし、決勝で辻内との対決を行い、そのすべての努力が水泡に帰した」と明らかにした。
ジョン監督は、「ハン・ギジュが、勝負欲がとても強いせいもあるが、自分の体の状態を正確に知らなかったんだ」とし「9回まで投げて、肘が大きく壊れた」と明らかにした。

これは事実である。 
KIAは、ハン・ギジュが入団してから、米国と日本で肘の状態を確認した。
結果は、「肘の靭帯の3本のうち、2本が90%以上損傷している」だった。
「肘の靭帯の接合手術の創始者」フランク・チョブ博士は「手術ではなくリハビリを選択することもできる」とし、「しかし投球数は、最大で50個、適正投球数は40個に限定すべきだ」と助言した。

↓KIA入団当時のハン・ギジュ
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契約金を10億ウォンを出して「第二のソン・ドンヨル」を期待していたKIAは、大きく落胆した。
しかし、ハン・ギジュに対しては、失望を全く表情に出さなかった。
ハン・ギジュの活用法について繰り返し悩んでいたKIAは、2005年10月、フロリダ州のインストロダクションノルリーグから、その道を見つけることになる。
ハン・ギジュの投球を注意深く見守っていたKIAの姉妹球団ミネソタツインズのコーチングスタッフが「先発、中継ぎ、おさえなど、どの役職を任せても自らの役割を果たす投手」と賞賛されたのがきっかけだった。

ミネソタ州のコーチングスタッフの賞賛を聞いたKIAのコーチングスタッフと球団は「ハン・ギジュをおさえに置いてみよう」という結論を下した。
しかし2006年は、おさえに使う機会がなかった。
ハン・ギジュもおさえより先発を望んだ。
しかし、4、5回になると急に速球球速が落ちるので、ハン・ギジュは、自分の体の状態を疑い始める。
ジョン監督は、「その頃、ハン・ギジュが自分の体の状態を初めて知った」とし、「その影響で、ハン・ギジュを2軍に10日間置いて、心の安定を見つけなければならなかった」と回想した。

おさえに転向した2007年シーズンが終わって、ハン・ギジュは、手術台に上がった。
ジョン監督が、「手術しなさい」と指示したためだった。

「その時、人々は知らなかったが、ハン・ギジュの肘の状態は最悪だった。痛みもすごいのだ。こんな肘の状態で投げるのは奇跡だった。一度手術させようというのが私の方針だった。ハン・ギジュも手術を望んだ。しかし現場の考えは違った。『 突然おさえがいなくなっては困る』と、手術よりもリハビリを強力に要請した。 」

ジョン監督は悩んだ。
そして、ハン・ギジュは「まずリハビリで克服してみる」という意志を明らかにした。
ハン・ギジュは、高校の時から、肘が困難な状態になると、驚異的な筋力トレーニングと補強トレーニングでこれを克服してきたからだった。

ジョン監督は、「ハン・ギジュは、私が見た野球選手の中で、最も誠実な友人だった​」とし、「 肘の靭帯が切れたのを、わき腹の筋肉でカバーしようして、毎日のように驚異的な運動量を消化した」と回想した。

しかし、リハビリには限界があった。 
2009年の夏。
ハン・ギジュは、「2006年のプロデビュー以来4年間、まともにボールを持ってしっかりとした気持ちで投げたことがない」とし、「肘の痛みを意識していて、肩に何度も力が入る。このままでは肩まで怪我をするかもしれない」と心配した。
なお、「現在は30球以上は投げない」とし、「球団に継続して手術をさせてくれと要請している」と明らかにした。

その頃ハン・ギジュは、一部のファンから「ブギジュ(不キジュ)」と呼ばれた。
危機的な状況で、しっかり火を消さないという理由からだった。
悪質なファンは「先発でもしっかりできず、ブルペンでも信頼できないハン・ギジュは、希代の渡り鳥」という非難を浴びせていた。
しかしハン・ギジュは、言い訳ではなく沈黙を選択した。
ただ球団が、自分の手術を許諾してくれることを望むだけだった。

2009年KIAが韓国シリーズで優勝すると、ハン・ギジュは、やっと手術台に上がることができた。
しかし、既に適切な時期が過ぎていたのを知らなかった。
過剰なファン心が加勢して、励ましよりも批判、慰労よりは叱咤が、ハン・キジュを打ちのめし、彼は負傷の沼から抜け出すことができなかったし、ついに恐れていた肩の負傷をすることになって、現在、約束のないリハビリ生活を送っている。


4日間の闘魂、しかし残ったのは一生の傷

↓巨人時代の辻内
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辻内の負傷も、周辺の貪欲が引き起こした人災であった。

辻内は「腕に負担がない」と強弁したが、2005年のアジア選手権で、4日間で3試合25イニング432球を投げたのは、間違いなく無理があった。
当時日本の代表監督だったサコダヨシアキ監督の「辻内はボールをたくさん投げるほど、より強いボールを投げる投手」という主張は、エースの酷使を正当化しようとする言葉遊びに過ぎなかった。

辻内は巨人のユニフォームを着る時には、すでに左肘の靭帯が破壊されていて、炎症まで出ていた状態であった。
大会前までに辻内は、肘には大きな異常を感じなかった。
短期的に、しかも緊張感が言葉にもならないほど大きい「国際大会」で、432球を投げたのが、肘の負傷や肩の痛みの原因となったと、日本の野球界は見ている。

ハン・ギジュのように辻内も、励ましや慰めよりも、非難と叱責に苦しめられた選手だった。
名門球団の読売に1位で入団し、契約金として1億円を受けたという理由だけで、辻内は引退するまで「渡り鳥」と呼ばれた。
その負担を減らそうとして、オーバーペースで早期復帰を急いだが、それがかえって毒になった。
プロでプレーした8シーズン中、1軍の記録はおろか、2軍でも4シーズンしか投げることができなかったのも、オーバーペースで怪我が再発したのが理由だった。

辻内は引退を発表して、最も思い出に残る瞬間的として、2012年の6日間の1軍昇格時を挙げた。
彼は「1軍の先輩たちがよくしてくれたし、プロのトップ選手と戦うことができた経験は、これからの人生の大きな資産になる」と淡々と当時の思い出を振り返った。

↓KIAのおさえで活躍していた当時のハン・ギジュ。まだ26歳のハン・ギジュは、退物というには早い。プロ入りからKIA球団は、ハン・ギジュの体の状態を精密にチェックして管理してきた。いつかマウンドを踏む日、ハン・ギジュのすべての努力がやっと光る
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ハン・ギジュと辻内。
1987年生まれの同い年の投手は現在、別の道を歩んでいる。
辻内は晩年、「有望株だった元野球選手」という道を選んだ。
残ったのはハン・ギジュだ。
ハン・ギジュがリハビリに成功し、再びマウンドに立てば、再び「怪物」として新しく輝くかもしれない。
しかしそうでない場合ハン・ギジュも、辻内と同じ道を歩むことになる。

「怪物」が「退物」になった1次的な責任は、プレーヤー自身にあるのかも知れない。
しかしハン・ギジュと辻内の場合だけを考えるなら、選手たちにだけに責任を問うのは難しい。
「20年に一度出るか、出ないか」という「怪物投手」を負傷へと追い込んでいった本当の「怪物」が、他にあるからだ。
残念ながら「本当の怪物」は、まだ韓日野球界を支配している。

「闘魂」「必勝」「大選手を育てるには?」「チームのための無条件的な犠牲」「私が応援するチームの選手だから」「名将になるために」という一方的スローガンが、「怪物投手」の未来を蝕むのだ。

こうして「退物」が、「怪物」の未来になるのだ。

△2005年9月。アジアユース選手権での本当の「モンスター」は別にいた。3試合で8と1/3イニングを投げ、防御率0を記録したドンサン高3年生のリュ・ヒョンジンと、予選台湾戦で辻内に続き、7回に登板して1イニング4安打3失点だった2年生の田中将大であった。△


*韓国の反応は、辻内に触れている部分が少なかったので、適当にちょっとだけです。



韓国人のコメント

・さすがに現職選手を「退物」というのはひどくないか…
共感5437非共感957

・↑記事をきちんと読んでから共感を押してるのか。

・↑怪物の称号があって、それに反する言葉を捜してみたら退物が出てきたんだろう。
適切な表現かどうかはともかく、切なくて書いた記事であり、野球界への反省をうながす指摘もいい。

・↑退物という言葉は本当にひどいが、明らかに良い記事だ。

・↑退物がダメなら、食い逃げやゴミならいいのか。

・パク・ドンイ-伊良部、朴賛浩-野茂、リュ・ヒョンジン-ダルビッシュ、これが歴代の韓日ライバルの系譜。


・残念だね。ハン・ギジュ、復活して欲しい。
共感3777非共感276

・高校生投手の酷使はやめなくちゃ…
共感546非共感25

・パク・ドンイの良い記事を久しぶりに見た。
怪物を退物にした、モンスターが他にいる。
共感556非共感40

・私はパク・ドンイ記者のこのような点が良い。
他の記者たちは、自分たちの生計のために書かない内容を、パク・ドンイ記者はこまめに書く。
無概念なやつが悪質な書き込みをして誹謗中傷しているが、私はパク・ドンイ記者を応援する。
共感656非共感152

・本当にありがたい記事です。
若い選手たちの未来のために、酷使をやめよう。
正直なところ、この記事に接するまで、ハン・ギジュ選手の状態を正確に知らなかった。
私は他チームのファンで、露骨な非難をしたことはないけど、冗談でからかったことがある。
本当にごめんなさい。
ハン・ギジュ選手のリハビリがうまくいって、以前のような姿を取り戻しますように。
共感123非共感12

・2005年ってすでに10年以上前ですか?鳥肌…
共感150非共感16

・日本も韓国も高校で投手を酷使するのは本当に…何とかするべきだと思われる。
共感0非共感0

・パク・ドンイ、これはどうしようもない人間だね。
日本の有望株だった人が引退することになって、この記事を書こうと思ったのか?
投げて故障して手術して苦労してリハビリしている20代半ばの青年を引っぱってきてき込退物だなんて。
記事の趣旨は良いが、何の関係もない選手を引っ張ってくるのか?
ルポ専門の記者でもないのに、こんなふうにペンを転がせば、後の非難が恐くないのか?
同じ釜の飯を食べる人の目つきが怖くないのか、聞いてみたい。
共感5非共感1

・高校の監督たちが、私たちの韓国野球を台無しにする。
共感0非共感1

・もったいないね。
共感2非共感0

・辻内がとても可哀想だ。
その大会の中継を見ながら、日本人が監督の悪口を言ってたのを思い出した。
共感0非共感1

・天才が、どんな指導者に出会うかによって、人生が変わるということを示しています。
共感2非共感0

・パク・ドンイ記者はたくさん悪口を言われる記者だが、良い記事も多くて、特に今回の記事では、読みながら気に障って心が痛いが、韓国野球に必要な文章です。
単純に「退物」という単語に執着して悪口を言う人は何ですか??
共感56非共感12

・パク・ドンイは、ハン・ギジュの復活は不可能だと考えて「退物」を既成事実にしてしまうつもりなんだ。
共感2非共感1

・ハン・ギジュは本当にメンタルが問題…
共感0非共感1

・ふふふふふふ
ハン・ギジュふふふふふふ
入団記者会見を思い出す。
新人賞を受けるまでだったか?MVPになるまで彼女は作らないと、尋ねてもいないのに胸を張ったのを思い出す。ふふふふ
共感2非共感2

・いくら期待以下のピッチングでも、若い選手に退物とは何だ?
共感5非共感3

・ソン・ドンニョルがこの記事を見るべきだ。
高校生ピッチャーは200個ずつ投げてもいいと言った。
限界投球数を幼い時から決めてはならないと言ったインタビュー!!
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・ハン・ギジュ選手はメンタルがダメだから、大きな競技用の選手ではない…
毎試合、不安。
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・最初から高校生投手は、国際、国内大会を問わず、ブルペンでも先発でも、3試合連続出場を禁止して、出た時は6イニング以上投げるのを禁止して…こういうルールにしておけばいいんだ。
ハン・ギジュ選手。
本当に残念です。涙
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・ハン・ギジュがサムスンに来たら、リハビリも可能でしょうか?
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・ハン・ギジュ選手は回復のために血の汗を流してるはずだ。
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・それにしても、ハン・ギジュはまだ引退もしてない、熱心にリハビリ中の選手なのに、退物というタイトルをつけたこと自体が行き過ぎだと思いませんか?
刺激的なタイトルを付けておいて、最後には復活を待っているだって?
とんでもないです、本当に。
共感4非共感1

・悲しいハン・ギジュ。涙
すばらしい直球だったのに。
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・ハン・ギジュ頑張れ!
アンチからファンになった!
今まで申し訳なかった!
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・典型的な韓国人の顔だね…
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・ハン・ギジュを退物だなんて。
どうしてこんな悪口を言われるのか。
共感2非共感0

・退物って…ちょっと記者両班はいい加減にしろ。
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・記事をしっかり読まずにパク・ドンイの悪口をいうキーボードの戦士は、野球ファンなのか??
記事の内容は、野球ファンならうなずく話だが…
他の「コピー/貼り付け後、継ぎはぎ」式の一般的なスポーツ記者よりも、遥かに熱心に記事を書く記者だ。
今回の記事について、感情的に非難しないで、論点を知ってから批評をしなさい…
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・田中は上原に匹敵する日本代表のエースになるのか。
共感1非共感0

・ぱっと見て、右が韓国人だと分かる。ふふふ
小さく破れた目、頬骨飛び出して…典型的な韓国人の顔。
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・ハン・ギジュ選手の復活も期待しますが、そうでなくても、これまでの努力に拍手を送ります。
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・良い記事なのに、タイトルがチラシレベルだね…
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・高校野球大会で、限界投球数を決めておいたらいけないのか?
20歳にもならない子供たちが、200球ずつ投げるなんて、現代野球では想像もできない野蛮な行為である。
まだ80年代の野球を実践している指導者が一人や二人ではない。
共感19非共感3

・WBCや北京オリンピックの時、ハン・ギジュにたくさん悪口を言ったが、こんな事情があったんだな。
心を空にして十分に休息を取って正常になった状態でマウンドに戻ってください。
三十を越してもいくらでも投げることができる。
レンディ・ジョンソンは、40代後半まで投げた。
絶対無理してはいけないということだ。
回復して、私を含め多くの人々の非難を、拍手と歓声に変えてくれることを期待する。
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・ハン・ギジュが傷ついた部位は、手術やリハビリをしても回復が困難な部位と聞いた。
絶対に修正することができない部位だって。
一般人ハン・ギジュになることがあっても、野球選手ハン・ギジュは終わりだと思う。
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・辻内は高校の時、すでに体がボロボロだったし、ハン・ギジュも入団後に、管理が適切ではなかった。
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・ソ・ジョンファン、こいつがハン・キジュを台無しにした。
先を読まず、目の前の成績だけで選抜して、腕がひどく損傷した。
ソ・ジョンファンは、野球界から永遠に退出する必要がある。
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・記事の最後の「本当のモンスターは別にいた」
…そこの部分、まるで映画のストーリーみたい。
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・高校の時にも酷使されたのが、最終的に毒になったんだ。
高校の監督が自分の欲で選手を壊すんだ。
もったいない…
二人の選手、アジア青少年野球選手権大会の競技を興味津々に見たのが思い出したよ。
共感1非共感0

・材料力学や固体力学を勉強したら分かるが、疲労破壊という概念がある。
すべての材料は、荷重を繰り返して受けると、破損される。
加えられる力が大きくなくても、繰り返したくさんの回数の荷重があると、破損される。
当然、投球の何回かでは破損してない。
壊れてたら、痛みを感じるだろうから。
しかし、痛みが感じてなくても、実際には肘の寿命を削っているんだ。
腕は使えば使うほど強くなるという人もいるけど、これは力学を全く理解していない馬鹿コーチたちの言葉である。
共感2非共感2

・ハン・ギジュではなくても、韓国の投手たちの寿命が全体的にとても短い。
ペ・ヨンス、イム・ソンドン、チョン・ミンテ、キム・ガンヒョン、チェ・ドンウォン、ユン・ソンミン、イム・チャンヨン…今思いつくだけでも、負傷エースがこの程度いる。 
300勝投手どころか200勝投手も出てくるか疑問なリーグ。
怪我は天災ではなく、人災である。
共感1非共感1




日本人記者がこんな記事を書いたら「わざわざ比較せずに記事を書けよ…」でコメントが埋まるだろうな。
韓国人は、比較そのものには違和感がないんですよね。


改めて、辻内崇伸選手、お疲れ様でしたm(u_u)m

 

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